ひらきら

なるほど!と思える記事をまとめています。

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戦後、日本が独立国となったのはいつ?

      2016/04/27

 - 社会・政治・経済

第二次世界大戦で敗戦した日本は連合国軍の占領下におかれました。連合国の占領下にあった日本が国として独立したのはいつ頃なのでしょうか。今回は戦後の日本の独立について調べました。

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戦後の日本はどうなったのか

1945年8月30日連合軍総司令官マッカーサー元帥が厚木に降り立ち、アメリカ軍の占領が始まりました。アメリカ軍は直接統治せず、日本政府を使って間接的に統治することにしました。それは直接統治するには大勢の人員を必要としますので、日本のように行政機構がかっちり出来上がっているところでは、その方が遙かに効率的だからです。又日本人の天皇に対する絶対的な服従を見て、天皇を訴追するより、存続させ、利用することが得策だと考えたこともあると思います。尚国体の護持はポツダム宣言受諾の条件だったという意見もあります。

連合軍総司令部をGHQ(General Head Quarter)と言い、連合軍と言っても実質的にはアメリカ軍でした。連合軍の当初の施策は日本を二度と戦争出来ない体質にすることでした。その為には支配構造を破壊し、経済力を弱め、精神構造を変えることでした。連合軍には色々な組織がありましたが、日本の統治に最も関係したのは民政局(GS)と参謀第2部(G2)でした。当初リーダーシップをとったのはGSでした。GSの主力は開戦時のアメリカ大統領ルーズベルトを支えたニューディーラーと言われた革新的なグループで、日本をその実験台にしようとしました。アメリカには民主党と共和党という二大政党があります。民主党は計画経済により、貧富の差を少なくしようという党で、共和党は自由経済で、経済力を強くしようと言う党です。ニューディーラーはその民主党の中でも最も先鋭的なグループで、共産党に近い考え方をしていました。一方G2は共和党に近くGSとG2の対立はアメリカ本国の対立を持ち込んだものでした。

マッカーサーが最初にしたことは軍隊の解体、軍需産業の操業停止、戦争犯罪者の逮捕、連合国にとって不利な報道についての徹底的な規制でした。戦争犯罪者として開戦時の首相だった東条英機等の戦争指導者の他、捕虜虐待、戦地における不法行為などで多くの人が訴追されました。年が明けた46年の1月には軍国主義者の追放、軍国主義団体の解散が命じられ、2月にはこれらの人の公職追放令が出されました。職業軍人、中央・地方政治のリーダー、大会社の幹部等所定の条件に該当する人は公職を追放されたのです。大会社の幹部はすっかり若返りました。

引用元-歴史授業105回 目次案

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戦後、日本が独立した日とは

4月28日はアメリカによる戦後の日本支配が終わった記念日です。日本国との平和条約に署名する吉田茂全権と全権委員1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約に調印され、翌1952年4月28日から効力が発効された平和条約。この条約の発効によって日本はようやく連合国との戦争状態を終結することができました。独立国家新生日本のスタートの日です。

同時に発効となった日米安全保障条約、アメリカの極東における対ソ政索です。この安保条約は賛否両論ありますが、アメリカ軍が引き続き日本に進駐する条約なので、経済的に考えると膨大な軍事費を予算計上することなく日本は公共投資に注力することで首都圏のインフラ整備や国内重工業など産業の育成にお金を掛けることができたのです。物事には例外なくメリットとデメリットが存在します。

その割合でやるかやめるかを判断するのです。

安保条約に調印した日本全権の吉田茂首相、安倍晋三総理は吉田翁の外孫にあたるわけですが、調印後、極右翼から命を狙われたり左翼系新聞社からも糾弾されました。アメリカに従属することへの抵抗なのでしょう

引用元-みえたんブログ

日本の独立が認められた条約とその問題点

1951年9月8日、サンフランシスコ講和会議の結果として締結された第二次世界大戦の連合国諸国と日本の講和会議である。連合国のうち、48ヵ国が署名して日本の主権の回復が認められた。48ヵ国は日本が直接交戦しなくとも、中南米諸国などドイツに宣戦布告したため自動的に日本と交戦国となっていた国々が多い。ただし、交戦国であった中国(中華民国・中華人民共和国)とソ連、およびインド・ビルマが加わっていないので、片面講和と言われた。発効は52年4月28日。

主な内容

戦争状態の終結、日本の主権の回復:日本は個別的および集団的自衛権をもち集団的安全保障条約に参加できること。
領土の規定:日本は朝鮮の独立を承認、台湾・澎湖諸島、南樺太・千島列島を放棄する。琉球諸島と小笠原諸島はアメリカの統治下に置かれた。
賠償:外国為替上の負担を日本にかけない、とされ事実上無賠償となった。

意義

 日本が主権を回復するとともに冷戦の中で西側陣営に組み込まれるサンフランシスコ体制が成立した。中国、ソ連との国交回復はなされず、北方領土問題を含めてこれ以後の大きな問題の発端となった。また同時に締結された日米安全保障条約によってアメリカとの同盟関係が成立し、米軍の駐留が恒常化された。

問題点

 サンフランシスコ講和会議、およびサンフランシスコ平和条約条約の問題点は次の通りである。
日本の最初の交戦国である中国が、中華民国・中華人民共和国のいずれの代表も会議に招聘されず日中間の講和は後回しとなった。(アメリカは中華民国=台湾のみを代表と認めたが、ソ連とイギリスは中華人民共和国を承認していたので、どちらを招聘するかで意見が対立し、トルーマンは結局そのいずれをも招聘しなかった。)
ソ連は、会議には参加したが、条約には中国代表が参加していないこと、日本独立後もアメリカ軍が駐留することに反対して署名しなかった。そのため、日ソ国交回復もできなかった。
インド・ビルマという、いずれも日本と交戦したアジアの諸国が、中国の不参加を理由に会議に参加せず、条約にも署名しなかった。

中国・インド・ビルマ・ソ連などとの国交回復

 サンフランシスコ平和条約条約に加わらなかった諸国との国交回復(平和条約締結)は次のように行われた。
 中華民国(台湾)=国民党政権とは1952年4月、日華平和条約を、インドとの間では1952年6月、日印平和条約を、ビルマとの間では54年11月、日本ビルマ平和条約をそれぞれ締結し、いずれも賠償請求権は放棄された。
 中華人民共和国=中国共産党政権とは依然として国交を持たなかったが、70年代に入り政府が方針を転換、1972年に日中国交を回復し、日華平和条約は破棄された。なお、1978年には日中平和友好条約が締結された。
 ソ連との間は、1956年に日ソ共同宣言が出されて国交を回復したが、平和条約は締結されていない。
 なお、大韓民国とは1965年、日韓基本条約を締結し国交関係を樹立したが、日本は韓国を「朝鮮半島における唯一の合法的な政府」と認定し、北朝鮮を無視する姿勢をとっているため、北朝鮮とは国交関係は成立していない(つまりこの部分では戦争は終わっていない)。

日米安保と集団的自衛権

 全面講和を主張し、片面講話に対して反対する声も強かったが、吉田茂内閣はサンフランシスコ講和会議条約に調印した。国内では日本の独立回復を祝う声で覆われたが、独立回復とひきかえに日本が選んだ日米安保体制によって、戦後日本のあり方が規定されることになり、懸念されたさまざまな問題がここから始まったともいえる。  サンフランシスコ講和会議条約では日本の個別的自衛権と集団的自衛権を有することが認められ、まず再軍備が始められた。それは日本国憲法と矛盾することであったが、「専守防衛」に徹することは憲法には反しないという「解釈」がなされた。しかし、さすがに「集団的自衛権」は専守防衛から外れることが想定されるので、「日本は集団的自衛権は有しているが憲法の制約があるので行使はできない」というロジックが政府の公式見解とされることになった。

領土問題の棚上げ

 戦後日本の領土は、ポツダム宣言(およびその前提となるカイロ宣言と、このサンフランシスコ講和会議条約で確定されたはずであった。しかし、ソ連が加わっていなかったことと千島の定義が不明確であったところから北方領土問題が残り、また韓国との間には竹島問題、中国との間には尖閣問題で禍根を残すこととなった。

引用元-世界史の窓

戦後の日本の働き

ア 自由・民主主義国との協力

独立国として主権を回復した日本は、第二次世界大戦において戦火を交えた米国との間で日米安全保障条約を締結した。そして、日米安保体制を中核とする同盟関係を築いた。日米同盟は、日本のみならず、アジア太平洋地域における平和と安定の礎となった。日本は経済成長を果たす一方、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、透明性を持って防衛力を整備してきた(2)。

冷戦終結後、日米両国は、1996年の「日米安全保障共同宣言」において、両国間の安全保障面の関係が、共通の安全保障上の目標を達成するとともに、21世紀に向けてアジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎であり続けることを再確認した。日米間においては、このような認識に基づき、1997年の「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しなどの防衛協力の強化を図ってきた。東アジアの安全保障環境が一層厳しさを増し、国際社会で脅威が多様化する中、地域と国際社会の平和と安定及び繁栄にとって、日米同盟の意義はますます大きくなっている。

日本が経済成長する過程で、GATTや世界貿易機関(WTO)(3)に象徴される自由貿易体制から受けた恩恵は、極めて大きかった。日本は、自由貿易交渉に積極的に参加し、多角的な差別のない自由貿易体制の実現に貢献した。自由主義経済が安定した経済成長を実現し、世界に繁栄をもたらす経済体制の基礎となるために、主要国首脳会議(G7/G8)、経済協力開発機構(OECD)、世界銀行(WB)、IMFといった国際機関や枠組みが果たしてきた役割は大きい。日本は、これら国際経済の土台となる秩序づくりに参画し、体制を支え、推進してきた。

イ アジア諸国と共に

日本は、戦後、「アジアの一員としての立場」から、アジア諸国との和解を図り新しい関係を構築する努力を積み重ねてきた。先の大戦に関する賠償並びに財産及び請求権の問題についても、サンフランシスコ平和条約及びその他の関連する条約などに従って誠実に対応してきた。日本は、先の大戦の深い反省に立って、戦後の歩みをアジア諸国と共に進めてきた。こうした歩みを踏まえ、中国や韓国、東南アジア諸国を始めとするアジア諸国との未来志向の協力関係を構築していく考えである。

また、1954年には、政府開発援助(ODA)を開始した。その援助額は着実に拡大し、90年代を通じてほぼ一貫して規模の面で世界一のドナーであった。特にアジア諸国に対する重点的な支援や技術協力は、韓国、中国及びASEAN諸国の経済発展に不可欠なインフラの整備や教育の充実に向けられた。その際、日本は自らの復興と経済成長の経験や知見を活用しつつ被援助国のオーナーシップを重視し、対話・協働を通じて人材育成や制度整備に貢献してきた。

ODAに加えて、日本の民間企業が東南アジアを始めとする諸国に行ってきた投資の相乗効果により、日本企業の地球規模でのサプライチェーン/バリューチェーンの構築とアジア諸国の経済成長の歯車がかみ合う好循環が生まれた。こうして、日本は、モノ、技術や資本だけでなく、安全・安心で豊かな社会を地域に広げてきた。

ウ 国連を始めとする国際社会との協力

日本は、国連との協力を中心とする国際協調主義の下、様々な課題に国際社会と共に向かい合い、その解決に真摯に取り組んできた。

唯一の戦争被爆国として、日本は軍縮・不拡散の分野の取組を一貫して重視してきた。特に、核兵器については、自ら非核三原則を堅持するのみならず、「核兵器のない世界」を実現させるべく様々な外交努力を積み重ねてきた。現在も、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際的な取組を主導している。

日本のODAが果たした役割はアジア地域に限られるものではない。冷戦終結後にアフリカに対する国際的な関心が低下する中、日本は、アフリカ開発会議(TICAD)プロセスと呼ばれる開発イニシアティブを立ち上げ、現在に至るまでアフリカの開発において主導的な役割を果たしている。

また、日本は人間一人ひとりに対する脅威に着目した人間の安全保障の理念を重視してきた。この考えの下、草の根まで届くきめ細やかな支援を実践するとともに、国際社会での理念の定着に向け積極的な活動を行ってきた。

引用元-外務省

戦後、日本は本当に独立できたのか

長期政権だった吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎などが対米追従路線をとったのは、それ以外の選択肢がなかったからだ。本来はサンフランシスコ講和条約で独立したとき、憲法を改正すべきだったが、吉田茂は1951年のダレス米国務長官との会談で「再軍備の負担が加わると日本経済は崩壊する」と再軍備を拒否した。この判断は当時としてはそれなりに根拠もあったが、独立のタイミングを逃したためにずっと憲法改正ができなくなった。

 オスプレイ騒動でよくいわれる「沖縄は本土の犠牲になっている」という話は逆である。サンフランシスコ条約のとき、アメリカは沖縄を国連の信託統治領として永久に占領しようとしたが、吉田はこれに抵抗した。沖縄はアメリカの領土になってもおかしくなかったのを、吉田が粘って守ったのだ。その後も日本は沖縄返還交渉を粘り強く続け、1972年に沖縄は返還された。戦争で占領された領土が、平和的な交渉で返還されたのは世界でも珍しい。

 60年安保のころまでは、日本が西側に所属することを否定して「全面講和」を求める進歩的知識人が論壇の主流だったが、中ソと平和条約を結ぶまで日米の平和条約が結べないとすれば、日本はいまだに独立できていない。戦後の日本の平和は日米同盟にコミットすることで、アメリカの核の傘に守られてきたのだ。

 経済的には70年代以降、日本はアメリカの競争相手になった。貿易摩擦が高まり、日米構造協議などを通じたアメリカの外圧で日本の経済政策が変わることもしばしばあった。しかし当時の通商交渉を取材した経験では、こうした外圧のほとんどは内圧だった。たとえば農水省が複雑な規制で「非関税障壁」を設けているとき、通産省(当時)がそれをアメリカ側に情報提供し、構造協議でアメリカ側がその撤廃を要求する、というパターンが多かった。

 だから日本が戦後ずっとアメリカの属国だったという孫崎氏の主張は、ある意味で正しいが、それは陰謀や脅迫のせいではなく、対米従属が合理的だったからだ。これは日本が代わりにソ連に占領されていたらどうなったかを考えれば明らかだろう。日本を共産主義に従属させるには強圧的な権力が必要だが、自由経済に誘導するのに脅迫は必要ない。人々はおのずから自由で豊かな社会を望むからだ。

 90年代から日本の政治が迷走し始めた一つの原因は、冷戦が終わって日本が戦略的重要性を失ったことだ。2000年代には日本の経済力が凋落し、アメリカの関心が中国に移ったため、両国関係に亀裂が入った。アメリカという求心力を失ったことが政治の混乱の原因なのに、問題を逆に見た民主党の鳩山首相は「東アジア共同体」などの奇妙な政策を打ち出し、「最低でも県外」などと公言して同盟関係をさらに混乱させた。

 いま中国や韓国が日本を挑発するのも、こうした同盟関係のゆらぎを察知しているからだろう。それに対してナショナリズムをあおってみても、悲しいことに日本は中国の核の脅威に対抗する戦力をもっていない。長い間の対米従属で政治家の能力も劣化したので、私は日本の政治家に命を預けたいとは思わない。政権が自民党に戻っても、この状況は変わらないだろう。日本の政治は当分、アメリカに依存してやっていくしかない。

引用元-Newsweek

まとめ
戦後の日本は独立を遂げたように見えますが、アメリカに頼らざるを得ない現状がありますね。

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